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一つ質問してもよろしいでしょうか。井上さんの最初のこのプロジェクトへの動機というか、自分を迎えてくれるあかりだったり、あるいは自分の動線を線として照らし出すような、その照明へのイメージというものと、照明家さんからのご提案とは大分すれ違っているように感じるのですが。
井上
違いますか。
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強いて言えば、町並みとか全体のフォルムとかから見ていくのではなくて、個々から発信していく照明の一つ一つの粒々みたいなものが全体像をつくり出して、それがまたここに帰ってきて、そこで安心感などをもたらすという辺りで、井上さんの話とつながるのかなという感じは、少しは手がかりとしてあったように思うんですけれども、全体としては、これでは全く終われないんじゃないかという心配が。(笑)
井上
いろいろご心配いただいてありがたいんですけど、そんなにすれ違っているとは思っていないのですが。
真壁
今の質問も一面をとらえた的確な質問だと思います。逃げ口上になるかもしれないけれども、建築家と照明家のインタラクティブなかけ合いというか、そこのおもしろさというのが、前回とは違った形で今回は再現できたのではないかと思います。逆に言うと暮らしていく、あるいは生活していく気配というものが、あかりをどのような媒介として捉えられるのか。それを現実の仕事として、角舘さんなんかは町の見え方というところで実践しているし、建築家の間では集合住宅の問題が実はそれほど解けていない。パブリックあるいはコモン、プライベートというゾーニングの中でも、あかりの役割を把握できていないのではないかと。やり切っていないのではないかという気がしますね。
井上
やり切れていないですね。今のご質問に対して、私もちゃんとお答えしなきゃいけないと思いますが、私が描いたイラストに近いようなことが、今の技術ならできるんだと思うんですけれども、私が空想したのはもう少し魔法みたいなものなんです。
つまり、いろいろなスイッチがあって、いろいろな調光器があって実現するようなものではなく、もっと高度な技術になっていかないと、私が予想したような、さらっとした表現にはならないような気がしたんです。
真壁
逆に感じたんですね。
井上
ええ。さっきお見せしたドイツのアート作品を見てそう思ったんですね。光に出迎えて欲しいのであれば、ただ玄関灯が点いているだけでも出迎えてもらえるわけなんですが、それよりもう少し踏み込んで、対話をしたいと思っています。角舘さんがいつも考えている町の気配とか、私もそういう気配がある、人の暮らしがわかるような、そういう家で過ごしていきたいと思っているので、その辺りで共通点を感じていただければ、今日のインスタレーションは世の中に受け入れられると思います。
真壁
さっきのあかりのことで、ふっと吉村順三さんを思い出しましたね。彼は暖炉というものに対して、今、井上さんが言ったようなニュアンスを持っているんです。単に温まる道具というよりは、火と対話する、あるいはあかりと対話する対象として暖炉を見ていた。あれはパチパチ音が鳴ったり、暗くなったり明るくなったりする。そういう暖炉の意味について、吉村順三さんは学生に向かって話していました。その当時はまだピンときませんでしたけれども、何かそういう癒されるというか、ともに生きているという実感が、恐らく暖炉にはあったのでしょうね。
大体時間なんですが。
事務局
はい。では時間ですので終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
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