遠藤照明

「くらしとあかり」プロジェクト

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第1回:トラフ×村角千亜希 2007年11月 第2回:井上搖子×角舘政英 2008年2月 第3回:ヨコミゾマコト×松下美紀 2008年5月 第4回:藤本壮介×石田聖次 2008年8月 第5回:棚瀬純孝×中島龍興 2008年11月 第6回:乾久美子×伊藤達男 2009年2月 石田聖次 伊藤達男 角舘政英 中島龍興 松下美紀 村角千亜季 乾久美子 井上搖子 棚瀬純孝 トラフ 藤本壮介 ヨコミゾマコト

井上
 入り口のところにパネルが三つありまして、それを読んでいただいてから入ってこられたかと思うのですが、私が「くらしとあかり」のキックオフのときに提案をしたところからお話したいと思います。あのときは、「くらしとあかり」というテーマで何か提案できることがないかと、そういう単純な質問に対して、頭に浮かんできたことをイラストにまとめました。

 どのようなことを思いついたかというと、すごく明るいあかりが欲しいとか、逆に少し暗めで落ちついているものが欲しいとか、人の要求というのは非常にわがままで、明るくなる、暗くなるというリズムが自分でも読めない。そういう場面に生活の中で出会っていると思いました。例えば、ゆっくりしたくて部屋のあかりを暗く落としているときに、ちょっと目に入った本が読みたくなると、そこにもう少しあかりが欲しくなる。そういうことも、スイッチ一つで今は何とでもなりますけれども、それがもっとスムーズに、自分の心を読んでくれるかのように光が明るくなったり暗くなったりしてくれるといいなと思いました。そしてそこから、光が自分と会話してくれると面白いかなというふうに発展していきました。


 このイラストは人が一人暮らしのマンションに帰ってきたところで、玄関のドアを開けると、あかりが待ってくれているというシチュエーションです。そして、待っていてくれたあかりが、次に部屋の方にいざなってくれる。自分の家ですから、別に案内してくれなくても分かるんですが、それでも光の方が先を行って、道案内してくれるんですね。そしていつも座る椅子の辺りまで光がいざなってくれて、そこでゆっくりくつろいでいる。しばらくゆっくりして部屋のあかりを点ければ、そのあかりは消えてしまったり、あまり明るくなければ、まだ少し見えていたり。そのうち光の存在などは忘れてしまって、雑用をこなす。それから少し時間が経ってもう寝ましょうという時間に、暗い寝室に行くと、あのあかりが出てきてくれて、あぁ、もう寝るのかと、光もそういう状態になっている。それから着替えたり、本を読んだり。本を読むときには手元を明るくしてくれるといいですね。そして眠りにつくときは見守ってくれている。そういうあかりの提案が今回のエキシビションに繋がり、角舘さんが気配という言葉から意味合いを広げていき、このように完成しました。


真壁
 今井上さんが説明してくださったように、これは一番最初の、プライマリーなイメージだったんですね。このようにあかりというものが、暮らしの中で自分の気持ちなり、行動と同調するような、共生するような役割を持つことがあり得ないだろうかというわけです。こういうとても難しいあかりの要求というか、命題が建築家から投げられて、今度は角舘さんがこれを画期的に捉えるわけでございます。では今度は角舘さん、その種明かしというか方法論をお話しいただけますか。


角舘
 これはどういう仕掛けになっているかというと、この天井には30台のダウンライトがあって、それらがプログラミングされて、さっきの三つの部屋の暮らしの動きに合わせた光がこの空間で体験できるわけです。僕はこれに気配光と名前をつけたんですが、要するにここにいると他の部屋の人の動きというものが気配として、光として表現されている。そういうふうな空間になっています。


真壁
 映像の中の人の行為とあかりの動きがリンクしているわけですね。


角舘
 例えば左端の部屋の人は、留守のところから帰ってきて、ソファで雑誌を読んでいます。それが今、ソファの上に落ちているあかりです。彼が立ち上がってまた玄関に向かうとき、あかりも同時に動きます。右端の人はキッチンと食卓を行き来して、食事の準備をしています。中央の人は今ベッドで寝ています。それがあのベッドの上の青い光です。このように映像の中の3人の動きを、この空間内のあかりが同時に表現しています。


真壁
 ベッドの上の青い光は、爆睡している状態を表しているのかな。


角舘
 そういう想定です。本当はいろいろな色を使おうかなと思ったんですけど、最終的にはやめました。