真壁
ここでもう一度最初のテーマに戻ってみましょう。要するに生活している人のアクティビティと光がシンクロするということですが、これはどんなビジョンが持てるのでしょうか。
角舘
そうなってくると、やはり僕のイメージではそれはアンチなんですよ。電脳住宅みたいで。
真壁
でも私はこれを電脳とは思わないんですよね。冒険ではないんだけれども必要にして最小限。だから抑制感がすごくある。人感センサーじゃないんだし。
角舘
デザイン的には最初ピンスポットなども使おうとしたんですけれども、なるべく普通のダウンライトの光でやったほうがいいなという判断を途中でしたんですね。使っているシステムはすごくデジタルなんですけれども、表現としてはなるべくアナログにできないかということをずっと考えていました。
真壁
あかりと対話するといっても、恐らくこれを3時間もやっているということはないですよね。やったとしてもほんの5分程度。
井上
長くやっても、難しいですよね。
真壁
一日の中のそういうわずかなすき間に、あかりとのインタラクティブな研究を通してゆとりが生まれる。確かに何時間もこんなことをしているわけではないとは思いますね。
今日、角舘さんが「くらしとあかり」を解き明かす前提として紹介されたプロジェクトは、パブリックな町だとかコンプレックスのビルのあかりのあり方、従来的なライトアップということから気配を打ち出したり、気配を通して建物の良さを示している。それが町の景観をつくっていくという考え方は、もっと集合住宅に入っていっていいのかなと思いました。
ただ今日、すごくヒントになったのは、これが人感センサーの連動型ではないということで、僕らはアースコンシャスというか、多量のエネルギーを使う仕組みを考えるわけではなく、どちらかというと非常にわずかなエネルギーで、自分の心を思い切り開けるような仕組みを、ほんのわずかでもあかりというものに対して持ちたいと考えているわけです。恐らくこの後通常のあかりを点けるんだけれども、その行為までの道筋なり発想というのをもう少し持ったほうがいいのではないかというのが今回の提案だと思います。
第1回目もそうだし、第2回目もさらにその傾向はは増してといると思いますね。しかし井上さん、角舘さんの気配の話はおもしろかったですね。
井上
おもしろいです。
真壁
戸建てというテーマで考えると、こういうあかりの気配はどのように捉えたらいいのでしょうかね。

井上
私が最近思うのは、家を建てる人はあれやこれや自分がしたいと思うことばかりをマルでつないでしまう傾向があると思うんですね。それは当然のことですけれども。自分の家がある道に建ったとすると、その道の景観が変わる。その道を歩くときに、新しい家が建ったことを近所の人が認識すると、違和感を覚えたり、前に何が建っていたんだろうと思ったり、とにかく変化が起こるわけです。そういうことに思いを馳せなければいけない。そういうふうに思いながら暮らしていくとだんだん住みやすくなるのかもしれないと思うんですよね。
角舘
僕が言ったのはすごく単純な話で、視力がある僕たちは、やはり夜、活動する上では光が必要なわけです。ということは夜、あかりを点けるときは、必ずある用途が発生する。それはすなわちその人のアクティビティを表すことになるし、それが集合していったとき、黙っていても魅力的な風景ができ上がっていくということを僕は信じています。本当はさっき言ったような町づくりの目的を、僕がその町の人たちに対して提案しなければいけないのかもしれないですけれども、今はまず、地域のありのままの姿を一度見てもらおうというようなところなんですよね。
真壁
そうするといろいろな可能性が。
角舘
あるよという話です。
真壁
その次のステップを目指したいわけですね。
もう時間になってしまいましたが、最後に皆さんにも実際、この設えの中に入って体験していただきましょうか。