遠藤照明

「くらしとあかり」プロジェクト

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第1回:トラフ×村角千亜希 2007年11月 第2回:井上搖子×角舘政英 2008年2月 第3回:ヨコミゾマコト×松下美紀 2008年5月 第4回:藤本壮介×石田聖次 2008年8月 第5回:棚瀬純孝×中島龍興 2008年11月 第6回:乾久美子×伊藤達男 2009年2月 石田聖次 伊藤達男 角舘政英 中島龍興 松下美紀 村角千亜季 乾久美子 井上搖子 棚瀬純孝 トラフ 藤本壮介 ヨコミゾマコト

真壁
 冒頭にちょっと申し上げたけれども、「くらしとあかり」のエキシビションというのは、ある意味では脱ファンクションというか、照度、輝度に依存しないあかりに対するイマジネーションをもう一回見つめ直そうとしている。恐らくどこかでみんな持っていたんだけれども、それを近代とともに捨ててしまった。あかりに対する懐かしさというのは、そこから来るのかなと思うんです。


 ちょっとここで、設営の際にワークショップとして、藤本さん、石田さんと一緒に作業をしてくださった何人かがおられます。彼らからワークショップの印象とか、藤本さんが物を決めていく瞬間をどう見たかというところをお話しいただきたいと思います。


学生A
 私は建築を学んでいる学生ですが、設営のときは、あかりをつける前の段階まで手伝わせていただきました。上にスチールのグリッドがあるんですが、これに一本一本ファイバーを通していくという作業をやりました。通しているときは、ただ髪の毛のようにしか見えなくて、空間のイメージというのは全然わいてこなかったんですが、やっぱりできたものを見ると、手作業で先を切っているので、光の大きさが変わって見えるよさがあるなと思いました。


学生B
 僕は今回最後までお手伝いさせていただきました。完成したときは椅子も何もなくて、その状態で寝っ転がって、お酒を飲みながらみんなで楽しみました。


 今回のそれぞれの光の決め方というのは、藤本さんの大まかな「ここは低めで」とか「ここは広がる感じで」という指定もあったんですけれども、光の一本一本の距離とか高さは僕たちに任されていました。大まかな決定は藤本さんがやって、細かい部分はそれに見合った形でみんなで話しながら決めるというつくり方は、押しつけがましくないというか、使い手にとっても自由度が残されている。そういうつくり方は実際の建築とか空間のつくり方でもおもしろいんじゃないかなと思いました。


 ここで一番おもしろいと思ったのは、先端の光っている部分をさわったときにそれが動くというのはわかるんですけど、一瞬消えて見える線の部分、黒い部分にも体をふれたときに、予想外の激しい動きをしたりする。それがおもしろいんです。だから、この中をぐるぐる回ったときに、意図しない動きが見られるというのが、一番の見どころだと思います。


真壁
 どうもありがとう。今の彼の話の中で一つ重要なことがあったと思う。それは、この真っ黒い線の部分もインタラクティブなあかりの動きと関係しているということですよね。実際、僕らが触れているのはこの線なんです。あかりに直接触れていない。これはセンサーとか、そういうものとは全く別で、昨今のはやりでいうと不整合さというか、イレギュラーな動きというか、これがやっぱり魅力なんだと思います。多分自分の意図とだいたいは即しているんだけども、違う動きが僕らにある気持ちの安らぎ、ゆとりを与えるんじゃないでしょうか。


石田
 そうですね。予想できないというか、想像できないところでの動きというのが、一番人に対して共感を与えるし、見ていて飽きないのかなという気もします。炎が燃えているというのもある程度の法則があるようで、法則といっても、そのエリアから外れない中での揺らめきがある。それがなぜか好きなんでしょうね。


真壁
 後ほど奥のところに寝っ転がって体感してみて下さい。あれも安直には満天の星という気もするんだけれども、一番すごいのは自分の肉体というか、体が溶けていくような感覚がある。このわずかな点が、こんなに私たちの身体的想像力をくすぐるとは考えもつかなかった。そう考えると、線香花火というのはなかなか手ごわいですね。ドーンというのも結構だけど、どちらかというと、僕らの足元から脅かすのは線香花火だと思うね。先ほど出たようなワンルームの可能性は、まだ何かありそうですね。


藤本
 そうですね。場というか、空間というか、つながっていてこそ違う場所が同居していたり、分けた瞬間に二つの関係がなくなってしまう。例えば寝室とリビングとか、つながっていることで、離れているという関係も持てるし、非常に気配を感じる。あかりもつながっていないことには到達しないわけです。かすかなあかりであれ、到達したり何なりという関係が生まれないという意味では、関係を切ってしまうのは、僕はちょっともったいないという気がしますね。


真壁
 少なくとも今回のエキシビションを通して思うことは、先ほどから申し上げているような、きっぱりと照らし出すとか、映し出すあかりの後ろにアナザーワールド、こういう世界がもう一つあって、それは心の願望だけじゃなくて、もう実現していくときに来ているんじゃないかなということですね。ただ、これだけではくらしに支障を来すので、何かチェンジできたらいいわけだね。


石田
 今の話では、逆にくらしに必要なあかりとは何だろうと考えたときに、新聞を読むときは手元あかりがあればいいし、食事をするときは食事のためのあかりがあればいい。ぼーっとするときは、別にあかりは必要ないじゃないかというのが実際はありますよね。でも、そのときに全くないとつまらないし、部屋の空間自体が、存在自体がおぼろげになって、現実から行き過ぎてしまうかもしれないので、そういうところに、ちょっと不思議なあかりがあると、すごくおもしろいことになるんだなと思います。


真壁
 伊藤さん、こういう建築家と照明家のコラボレーションがもう4回経緯してきたわけだけども、これまで建築家と照明家の関係はどんなものでしたか。


伊藤
 皆さんスタンスは違うと思うんですけれども、「くらしとあかり」のエキシビションでいえば、それぞれ楽しみながらやっていただいています。こういうものを見ながら、くらしの中でいろんなあかりを楽しむということをわかっていただきたいなと思うんですね。その中からもっといろんな発見ができてくるでしょうし、くらしも楽しくなる。こういうことを楽しむゆとりが、いま一番欠けているのかなと思うんですね。だから、こういうものを見て、そういうゆとりをつくっていっていただきたいというのが、私の一番の気持ちですね。


真壁
 特に床すれすれにある点光源なんていうのは、日常の中にはめったにないものですが、僕はこういう淡い光に、もっともっといまの建築、住宅の局面を押し広げるような可能性をすごく感じているんです。つまり、まだデザインのボキャブラリーがあるんだなと。